『殺戮にいたる病』 by 我孫子武丸 : 叙述トリックの最高傑作と呼ばれる訳
あらすじ
あまりに有名な作品なので、表紙裏から。
永遠の愛をつかみたいと男は願った――東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねるサイコ・キラーが出現した。犯人の名前は、蒲生稔! くり返される凌辱の果ての惨殺。冒頭から身も凍るラストシーンまで恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、とらえようのない時代の悪夢と闇を鮮烈無比に抉る衝撃のホラー。
- 作者: 我孫子武丸,笠井潔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/11/14
- メディア: 文庫
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この作品は、叙述トリックの最高峰、とかよく書かれているけど、それは以下の2点からではないか?と思う。
- アンフェアな仕掛けがないこと
叙述系に時々みられる、ちょっと読者を騙すような仕掛けがない。
これには異論がある人もいるかもしれないけれど、ネタバレにつながるので後述。 - ただの叙述系で終わっていないこと
叙述系ミステリっていうのはその仕掛けだけで書くのが相当大変な読み物である。そのため、驚きだけで終わってしまうことも多い。がその面、この作品は時代的背景を写したものとなっており、単なるミステリの留まらず、現代社会における問題提起にもつながっている。
以下、ネタバレありありの感想
アンフェアなのか、フェアなのか?
この作品がアンフェアか?ということで、疑惑のある記述が一箇所。
「……三十くらいじゃないのかなあ。ラフな服装でしたよ。大きな鞄下げて。ふけた学生みたいな感じでしたね。」 とかに見られるように、43才の犯人が、30歳程度、大学院生と自称して違和感を与えないところだ。これは微妙なところだけど、
- 息子である信一も20歳であり、30歳というには若すぎること
- 大学教授、というのは概して若くみえること
- 「父親」になりきれない、「永遠の息子」である犯人像を表していること
から、むしろヒントのつもりだったのでは?と思われる。
それ以外の部分についてはアンフェア、と呼ばれる部分はないだろう。43歳にしてはモテすぎじゃない?とか、疑問が出ることは出るんだけど。せめて39くらいにしておけばよかったんじゃないのかなあ。小さな差だけど、だいぶイメージは違う。信一は19、学生結婚になるからそれはどれで不自然なんだろうか?
グロテスクな描写について
この小説はグロテスクな描写でも有名なんだけど、確かに殺戮シーンを細かく書きすぎている。本格的な猟奇作品に慣れている人にはたいしたこと無いって言われるだろう程度だけど、慣れていなくて、小説を想像しながら読む人は結構嫌な気持ちになるはず。何故このような描写を入れたのだろうか?この小説の主題は解説に書かれているような、「家庭における父親の希薄さ、家庭の荒廃」では無いのかも。と思った。その場合はこんな描写はいらないので。主題は、「永遠の愛を求めながら得られない故に大人になりきれない男」なのではないだろうか。それなら納得できる。グロテスクな描写は狂おしいほどに愛を求めながら得られない姿、なのだ。そしてそれこそが死にいたる病なのだろう。タイトルもピッタリ。仏教でいう、求不得苦ってやつですな。
ちょっと思ったこと。
「憲法?新田先生の?だったら出なくてもいいじゃない」出席を取らず、試験も楽勝だったということで、伝説的なまでに有名な授業だった。
という記述があるけど、これは我孫子武丸の母校である京都大学の豊田先生がモデルじゃないかと。 初回の授業で、「単位は上げますから授業には来ないで下さい」と発言をすることで有名。もう退官されたのかな?