定義をしない議論:平等の意味とは
多くの議論は言葉の定義を明確にしないことから生まれている、と考えている。よって言葉の定義が曖昧な人とは全く議論できない。
2種類の平等の定義について
以下は、尾崎日菜子さんと、紙魚さんによる「将棋会における男女の棋士の数について」の議論だが、
これは、『平等』という言葉の定義が異なるから平行線なのではないか?
尾崎日菜子さんが、結果の平等*1を求めているのは以下から予想される。
@silver_fishes 門戸を開いても参入がないなら、インセンティブを操作すべきです。極端に言えばある程度下駄を履かせることも、女性が参入しやすいような時間や場所に変更することも、最終的に数的平等が実現しないと意味がありません。
— 尾崎 日菜子 (@hinakoozaki) 2015, 6月 7
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それに対して、紙魚さんはより一般的な機会の平等*2をもって平等を定義しているのでは?
罪を憎んで人を憎まず
上記とは別に、尾崎日菜子さんという人との会話は難しい、と感じた。その理由は2点。
まずは話をするときに内容を対象にせず、話した人を対象にして否定をするからだ。以下がごく一例。この否定文句はセクシスト一般に対しての話で、議論している人に対しての発言ではない、というのは詭弁だろう。
ついでに言っておくと、将棋におけるアファーマティブアクションの意味は、必ずコマ落ちのハンデ戦であると言うのは、一言も言ってなくて、インセンティブを操作すべきといっただけ。
基本的にセクシストは日本語が吟味できないようで、議論する文化もないのかね…
— 尾崎 日菜子 (@hinakoozaki) 2015, 6月 8
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わかりにくい言葉は避けるべき
もう一点は、見慣れない言葉を使う、ということ。
不勉強ながら『真空管の自由意志の闘技場』というのは、知らなかった。ちなみに、ちょっとググった程度では、分からなかった。『真空管』が特に。
@silver_fishes だから、あたしが最初に言ったように、この話は定石形の進行でしかないのです。
結局、局所的な条件をピックアップしてエリートの能力を比較する「真空管の自由意志の闘技場」と「闘技場の設計の不平等とその結果」の立場の違いですから。
続けますか?
— 尾崎 日菜子 (@hinakoozaki) 2015, 6月 7
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以下のように、少なくとも確率論では間違った言葉の使い方をしているようなので、ひょっとしたら表現がどこか違うのかもしれない。
@silver_fishes すいません。それはあたしの確率の概念の間違いです。
あまり、数学的な思考は苦手なのでごめんね。
あなたの翻訳の通りですよ。
— 尾崎 日菜子 (@hinakoozaki) 2015, 6月 7
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始めに書いたように、議論において言葉の認識、定義をあわせることは基本だ。
総じて、自分を理解してもらおう、相手を理解しよう、という気がしない。と書くとそういう気はない、というのかもしれないが、行動が自分が所属している属性へのイメージに影響をあたえることは認識したほうが良いと思うんだけど。少なくとも、僕はフェミニストへのイメージが悪くなったし、ブコメを見てもそういう人が他にもいそうだ。