リソースの有限性と価値観、そして苛立つおせっかい
はてなダイアリーで最近話題になった2つの記事がある
はてなダイアリーをよく覗くのだけど、最近話題になった記事に以下のものがある
ざっくり言うと、
「上司さんは自分の頭で考え過ぎなんです。」
って内容だ。
で、先日以下の記事が乗った
つまり
常識を疑って考えこんでいる人を見下す何も考えていない人って、なんなの?
っていうことを愚痴っている。
これはリソースの有限性から起きたこと
内容は全く違うが、共通することは、この2つは人生のリソースの有限性から発生した問題だということが出来る。時間、体力、頭脳は、使用できる量にどうしても限界があって、それをどのように使うか?はその個人に依存する。
「部下がくれたアドバイス」は、無駄なことにリソースを使いすぎているんでは、という指摘。
「常識を疑うこと」は常識を疑う、ということにリソースを使いたい、という愚痴。
優先順位を決めるのは価値観
カバーできない部分は切り捨てるしか無い。つまり、優先順位をつけて対応することになる。これを決めるのが価値観、というものだ。
「部下がくれたアドバイス」は、「考える」ということに重きを置くならばアドバイスがなんだであろうと、やった方がいい。苦労したり、結果が出なくてもしょうがない。でも満足できたはずだ。しかし、「何が残ったか」に重きを置くならばアドバイスに従ったほうがいいだろう。そして勿論、優先順位は意識しておくべき。この記事では書いた人の価値感はどっちにあるのか、揺れているように読める。
「常識を疑うこと」は常識を疑う、ということにリソースを使うことを決めたならば、疑うのは全く自由。「我思う故に我あり」まで疑うといい。その逆で、常識を疑わない、つまりリソースを割かないことを決めるのも全く自由だ。
他人の価値観に口を出すのはおせっかい
で、ここで問題になるのが他人の価値観を見下したり、自分の価値観を誇る人たちだ。価値観自体は優劣をつけるべきではない。どうしても自分の価値観が優れている、と思いがちなのだけれど。
炎上は時として、こういうことから起きる。「ノマド最高!」「そんじゃーね」「東京はダメ」とかそういう奴。困ったもんだよね。